我々の友人、加藤志朗君が平成19年9月9日に突然にお亡くなりになりました。

心筋梗塞でした。12日に通夜祭が、13日に葬場祭(告別式)が新横浜ノースホールで執り行われました。葬儀は神式でおこなわれました。神道では親からもらった名前のまま神の世界に向うとされ、彼は「加藤志朗大人命・かとうしろうたいじんのみこと」になり、この世での役割を終え神の世界に帰り子孫たちを見守るのだそうです。
急な知らせにもかかわらず、通夜に30名、告別式に12名の移動学校関係者が集まり志朗君とお別れしました。札幌、名古屋、岐阜と遠方からも参加いただきました。

移動学校同窓生一同として生花を出しました。
ほかにMRAハウス、八木君、可児さんからの生花も飾られていました。それと7月の北海道旅行の写真と68年にアメリカに行った時の写真をアルバムにしておくりました。また私に届いた、アメリカ、ドイツ、ロンドン、フィリピンからのメールにこめられた各人の想いは、しっかりと志朗君に伝えさせてもらいました。
今度の彼の死は、あまりに突然であり、7月に元気な姿を見ているだけに悲しみも大きいですが、あらためて彼がみんなから愛されていたんだなと思うしだいです。ご遺骨は松戸のほうに埋葬されるそうです。場所などわかりましたらまたお知らせします。

残されたご遺族のみなさん、とくにお母様の心境を察すると苦しいかぎりです。また喪主をなされたお兄様、親戚の方々、バンコクの社員の方々の驚きと悲しみを思い、なにもして差し上げられない空しさでいっぱいです。 
時間がたち落ち着かれた時にお悔やみのお手紙などで住所が必要な場合は私のところにあります。

中嶋洋樹 

9月12日(水)お通夜 18:00~       9月13日(木)告別式 12:30~

*突然の訃報に驚いています。加藤志朗君は先週、入院したお母様の見舞いのため来日していて、8日(土)の夜横浜で仕事関係の人と食事を終え、8時ごろにホテルにもどり就寝したそうです。翌9日朝、10時の約束に現れず、携帯も通じないので部屋にいったら亡くなっていたそうです。
警察の検死の結果、死因は心筋梗塞で9日の0時頃にお亡くなりなったとのこと。
さきほど横浜の伯母さんの家にもどった志朗君に会って来ました。穏やかに眠っているようでした。お兄さんの話では、寝ているときに発作がおきて、多分苦しまなかったのではないかとのこと。
ちょうど二ヶ月前、北海道での同窓会で元気な笑顔をみせていた、シロー君を思い出すとなぜこんなことになってしまったのか、無念でなりません。
今はただご冥福を祈るばかりです。 
可能な方は出席して、加藤君とお別れをしましょう。                                                                                               中嶋 洋樹 

納骨式の案内

 志朗君のお兄様より納骨式の案内をいただきました。

日時: 9月28日(金) 午前11時より

場所: 八柱霊園(やはしられいえん)

住所: 松戸市田中新田生松48-2

最寄駅: JR武蔵野線・新矢柱駅 又は 新京成線・矢柱駅

 


・・・信じられません。本当に言葉がありません。
つい先日、私と相棒の広沢は志朗君にバンコックで823日から30日までの滞在の間、ずっとお世話になったのです。
滞在中は、志朗君の20年間のバンコックでの頑張りをいっぱい,間近に見せてもらい、感心するばかりでした。
社長の志朗君を信頼し、楽しく良く働いているスタッフ、りっぱな会社とお家・・・バンコックで安定した満ち足りた生活が出来るようになったと今までの苦労話も交えて、話してくれた志朗君。貫禄と包容力が備わり、でもお茶目な志郎君。
30
日には次のバリ島へのフライトの前に、志朗くんに電話をしました。といっても実は私はすごい風邪を引いてしまっていて、ついに声が出なくなったのでケイ(広沢)が志朗くんと話しました。今に思うと、私たちの旅行の続きのこと、私の体のこと、気遣ってくれた志朗くん、あれがお別れの電話でした。

私たちがバンコック最後の晩、志朗君は、忙しいにもかかわらず私たちのために、手料理を作ってくれました。
実は志朗君も日本のお母さんが具合が悪いので、その次の次の日に急遽日本に帰ることになり、色々日本のお世話になっていいる方へのお土産の用意をしていました。
志郎君は毎日、日本食のお料理を手作りし,スタッフと一緒に食べてたそうです。
社長が日本に帰ると、皆なは美味しいご飯が食べられなくなり困るんだとも話してくれました。

志朗君の大好きだと言う、タイとミヤンマーの国境近くの湖と山に囲まれたとてもきれいなひっそりとしたリゾート地に1泊どまりで連れて行ってくれました。
バンコックからタイ人のスタッフの運転する車で、6時間ぐらい。道中、北海道での同窓会のことやら、すごくいっぱい色んな話をしました。
そのとき志朗君が日本の洋樹君と加藤ちゃんにも電話して、話したんですよね。

元気な志朗君にこの間、たったの2週間前、会ったばかり、今度はもっとゆっくり来るねって再会を約束したのに。
東京に来たら、津田君の所に一緒に天ぷら食べに行こうって話したのに・・・なぜ?無念です
バリ島から志朗君に長いお礼のメールを出してたのだけど、見てもらえなかったですね。


突然で、まとまらない話ですみません。いまだに信じられません。ショックが大きいです。涙が出てきます。

志朗君のお家のお庭には立派なタイの仏様が飾ってあって、朝晩手を合わせているって話してくれたのを思い出しました。
志朗君、ほんとにlバンコックではお世話になりました。逢えて良かった。すごく楽しかったです。ありがとう。
あのときの上手にタイ語をしゃべる元気な志朗君の姿は永遠です。

ご冥福のお祈りします。安らかにゆっくりしてくださいね。
まだ旅行中のため、お通夜にも告別式にも出れなくて本当にすみません。930日に帰国したら、お別れさせてください。

                                        
佐々ゆうこ


826日 志朗くんのお気に入りのリゾート地に行く途中、カンチャブリ
               「戦場にかける橋」のクエー川鉄橋にて


826日 志朗くん、タイ人スタッフ、ケイと私、皆でクエー川をクルージング

829日 社長デスクに座る志朗くん

829日 タイ人スタッフがいつもいっぱいお供え物をし、皆、手を合わせて拝んでいる志朗くんの会社兼自宅の庭の立派な仏様

829日 家の前でケイと私を見送ってくれている志朗くん。これが志朗くんに会った最後でした・・・
「加藤志朗君へ」

連絡を聞いて驚いています。
あまりにも残酷なニュースです。

志郎君とは私がアメリカ在住時代にも遊びに来てくれたり、
タイを訪れた際も親身になって接待をしてもらいました。
私が現地の家庭を訪問したいと希望すると、
 
こころよく知人の家庭に行き食事会をしたり、
 
心温まる貴重な体験をさせてもらいました。

去年はフィリピンのセブ島での再会、
朝まで飲みながら昔話に盛り上がりました。
タイから何回も電話がかかって来て、
もう一度タイでの再会を約束もしました。
寂しがり屋で、照れ屋な志郎君の想いでは
私の心の中で深く感謝の気持ちと
懐かしさでいっぱいです。
本音で気軽に付き合える友人でした。
なんとも言えないむなしさでいっぱいです。

                                                        森 文男

 加藤志朗君を特集した時     清水先生のタイ旅行記

       

9月12日、お通夜のあと、新横浜での会食写真(敬称略)

*最前列男性4名・左から奥村康治、荒谷健士、清水紘司、津田広敏
中列左より岡順子、中嶋、その後ろ藤井節男、ウオーラー神部ちづこ
右にずれて、小澤百合子、木本博美、清水夫人、その後ろ
大きな顔が菊地範行、その前が仲川恵子、宮崎佳子、うしろ
口井裕子、龍村庸子、
後列左より和田洋治、柳澤元、松本孝、中嶋夫人、波多野三郎、
高橋卓、木本長、岩崎好範、森文男

このほかの出席者、相馬夫妻、毛原さん、米山温子さん、稲垣淳さんでした。

 


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