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「内助の功」シリーズ 木本博美のインドネシア記 PartT

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2月には、主人がインドネシアの一番西にある島のパプア州に居住するダニ族やラニ族の村へプロジェクトの調査で行くことになり、私も無理を言って、連れて行ってもらいました。 何と言っても、ダニ族、ラニ族ですからねえ。このチャンスを逃すのは惜しいのです。世界ウルルンの番組で彼らのことを見たことはあるのですが、なんといっても実物をこの目で見られるのですから。 インドネシア・パプア州の州都のジャヤプールから9人乗りの小型飛行機で、バリエム渓谷のワメナまで1時間ちょっと。パプアには標高5,000メートルを超え万年雪を抱くジャヤ峰があるので、ぜひ見てみたいと思い目を凝らしましたけれど、雲が厚くあって、見えませんでした。

トタン屋根の空港事務所を出ると、標高1.500mの高原の涼しい風、明るく輝く太陽に迎えられました。そして、裸の人々数人。ラニ族やダニ族の人々。観光客にお土産を売ろうと飛行場のそばにいるようです。彼らは、1938年にアメリカ人の飛行機が墜落した時に発見された人々です。そのときまで、石器時代さながらの生活をしていたようです。

 

男性・女性の服装はごらんの通り。これが彼らの正装。といっても、この村(アキマ村)はちょっと特別で、観光客のために正装しているのです。ここにはミイラがあり、観光収入として活躍しています。150年ぐらい前の祖先のミイラと説明する(地球の歩き方には362年と書かれていますけれど)村の人に、「えっ、これ本物なの・・・?」と疑いの目を向けた私に、この調査でご一緒したWHO(世界保健機構)のアメリカ人のお医者様に、「これは、本物だと思うよ」と言われました。ミイラも彼らの正装も、お客様をもてなすためではなく、写真のモデル代を稼ごうという魂胆。彼らは、お金はもちろん要求しますけれど、タバコも彼らが執拗に欲しがりました。彼らにとって気の毒なことには、そこを訪ねた私達誰もがノン・スモーカーで、タバコの持ち合わせがありませんでした。彼らは残念というより、怒っていましたね。

 彼らが居住している地域は、朝晩は気温がかなり下がります。ジャカルタの蒸し暑さに比べたら、うらやましいような気象環境ですね。現在は、インドネシア政府の勧めもあり、シャツやズボンを着用しています。ただ、他の村を訪ねたときは昼間だったせいもあり、昔ながらの服装(?)のお年より達(といっても、ちょっと年寄りなのか、すごくお爺さんなのか、まったくわからなかったですね)が多くいました。体になじんでいるのかもしれませんね。この姿では寒い時は、体に豚の油を塗っていたそうです。彼らの肌を遠くから眺めた感じでは、まるで硬めのなめし皮のようでした。近くでよく見ればよかったのに、なんだか恥ずかしかったのが残念です。

 また、彼らの顔つきがみんな似通っているのも驚きでした。親族間の結婚が多い結果かもしれません。

 

彼らは、サツマイモを主食にしています。畑にはサツマイモしか植えられていませんでした。お芋畑で土を掘り返してお芋をとり、葉を切り取ってノーケンという袋に詰めるという労働をしているのは、みんな女性でした。

 

また、彼らは豚をとっても大事にしています。結婚式などのお祝い時に食べるそうです。また、若者が結婚の申し込みをするときには、娘さんに最低4頭の豚を差し出さなければいけないとか。(女の値段が豚4頭なのかあ・・・)

 彼らは、キリスト教信者です。第2次世界大戦が終わり、やって来たドイツやオランダからの宣教師達の努力の成果です。村々には、学校も作られていますが、通学できる子供は限られているようです。授業料が払えない子供もいるようですし、また、小さな子の面倒を見るために家にいる子供もいます。見かけは6歳くらいの子供に「いくつ?」と聞いてみましたら、「知らない」という答えでした。何か、悪いことを聞いてしまった、と後悔しました。

 夕方の広場では、若者達がバレーボールをしているのを見かけました。もちろん、シャツも着ているし、バミューダパンツもはいています。でも、靴をはいていたのは半数くらいでしょうか。ワーワー、キャーキャー言いながら、楽しそうにゲームをしていました。彼らは、観光のために裸の正装をするかもしれない。でも、きっと日常生活では出来ないでしょうね。この地もあと10年、もしかしたら5年くらいで様子がすっかり変わるのではないでしょうか?

 (編集部より)  

このホームページがスタートした時から何度となくインドネシアにいる木本先生になにかリポートを書いてくださいと頼んできました。暇ができたらぼちぼちやりますよという言葉を信じて一年以上がたちました。今回あまりの私のしつこさに奥様の博美さんが代わって引き受けてくれたのです。一度しか会ったこと事がない私の無理なお願い(何でも良いからインドネシアについて、写真もつけて)を聞いていただき恐縮しています。これは木本先生が忙しいのを一番知っている奥様のまさに「内助の功」です。とゆうことで中村仁の京都だより、大沢政子シカゴリポートに続く第三弾のスタートです。

(紹介)

木本長・博美夫妻は1973年結婚(バンコクにて)米国のニュージャージー州・バージニア州に5年滞在後帰国。一年後再度ニューヨークへ。国連に勤務。

仕事はFAO(Food and Agriculture Organization)どんなことをしているかは
             Webページ
を参照。  

             www.fao.org  (英文)

       www.fao.or.jp/ (日本語)

1985年ローマ、1992年スリランカ、1994年リベリア(単身赴任)、2000年ラオス、2002年よりジャカルタ勤務。子供2人。娘さんは昨年秋インド系アメリカ人と結婚ボストン在住。息子さんは写真家志望の学生。

                           以上 中嶋洋樹

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