「シング・アウト65」(米国)の来日

昭和40年(1965)夏のマキノ島のMRA大会では、アメリカの青年を中心として「シング・アウト65」という新しいタイプのショウが制作された。当時流行のフーテナニーやグループ・サウンズのアイディアを取り入れ、非常に多くの青年が舞台に参加し、「神様の(皮膚の)色は何色か?」(What Color Is God's Skin?)「ジャンヌダルク」(Joan of Arc)、「自由はただでは得られない」(Freedom Is Not Free)「アメリカの選択」(Which Way, America)など、当時のアメリカが抱えていた諸問題に直截に立ち向かおうとする数々の歌が、感動的な舞台を盛り上げた。「私のウィリー」(Bring Back Willie To Me)など、ベトナム戦争の悲しみを歌い上げたフォークソングもあれば、フィナーレには「Up With People」という人間讃歌とでも言うべき大型の曲を配し、内容的にも完成度が高く、将来性を持つ作品となった。ウッドストックのイベント等に見られるように、全く新しい音楽的表現が、世界的に人気を呼んでいたときでもあり、「シング・アウト65」は、参加を希望する青年男女が殺到し、関係者の予想を超える反響を巻き起こした。


歌舞伎座での公演 拡大

東京都体育館での公演 拡大

上智大学での公演 拡大

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この大会には日本から小田原の鈴木市長、電源開発の藤井総裁などとともに、多くの高校生や大学生が参加していたが、新しい時代を先取りするようなこのショウに強い印象を受け、即刻日本に招待することが決まった。同年9月には150名余りに上るグループがチャーター機で来日、かなり異例ではあったが北海道の千歳空港から入国し、中島スポーツ・センターで公演した。ついで東京に移り、歌舞伎座、東京体育館、早稲田大学大隈講堂、日大講堂(旧国技館)などで上演、大きな反響を呼んだ。東京体育館には7,500名の観客が集まり、佐藤首相夫妻も観劇し、終演後舞台裏で出演者を慰労した。また大隈講堂では坂本九が特別出演した。因みに佐藤首相から特に寄付されたグランド・ピアノは、定期的なメンテナンスを続け、現在もアジアセンターで活躍している。


早稲田大学大隈講堂 特別出演 坂本九 拡大

佐藤首相とキャスト 拡大

船田衆議院議長とキャスト 拡大
 

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