「シング・アウト65」の斬新な形式と、未来志向のメッセージが、日本及び韓国の青年達にひろく受け入れられ、日本では「レッツ・ゴー」というショウが生まれ、国内各地は勿論、翌昭和41年(1966)には韓国、香港、フィリピン等をはじめ東南アジア7カ国を訪問、各地で好評を博しただけでなく、地元の青年達により、それぞれのバージョンによるその国に特有のシング・アウトが作られ、地域全体を活動の場とする新しい形でのMRAの活動が展開された。41年(1966)12月には、前年9月以降、革命の先頭に立って、軍と共に活動していたKAMI(インドネシア学生連盟)からの招待を受け、米国シング・アウトのメンバーの一部との混成グループを結成してインドネシアを訪問し、3週間に亘ってジャカルタ、バンドンなどで、軍と学生を中心に、数万人の観客を集めて公演を行った。たまたまスカルノ大統領から、スハルト次期大統領への権力委譲の時期で、国内が騒然としていた中での上演は非常に印象的だった。

台湾
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香港難民アパート
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韓国訪問
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マルコス大統領を表敬訪問
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マニラ公演
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インドネシア空軍機で バンドンに到着した一行
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ジャカルタ公演
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東京では、新宿厚生年金会館、渋谷公会堂での公演やテレビにも出演し、また高校や大学の学園祭にも招待されるなど、若者の心を捉え参加者が増え続けた。
昭和41年(1966)11月には「レッツ・ゴー66」が、500名を越えるキャストによる超大型のショウとして武道館で上演され、1万人以上の観客を集めて人々を驚かせた。

吉永小百合ショウに出演した 「レッツゴー66」(NTV)
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武道館公演
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武道館レコードジャケット
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武道館レコードジャケット
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