トニーさん

2013年7月13日

訃報です。

トニーさん、平井(木村)利根子さんが7月11日の夕方腎不全の為お亡くなりに

なりました。85歳でした。

7月13日(土)午後1時からお別れの会

〒249-0007  神奈川県逗子市新宿2-2-24

 新宿会館にて  電話046-873-1225

         祭壇                         
        太郎さんご夫妻と太郎さんの次男の方

追伸:

当日は移動学校関係で中山さん、工藤さん、佐々さん、ヨッチ、チョロが出席しました。

あと小澤百合子さん、米山温子さん。

同窓会名で生花をお供えさせていただきました。

昨年5月にみんなでお見舞いに伺い、いっしょに昔の歌を歌ったことを思いだします。

(I'll see you in my dreams)

                                                                                                                                     合掌

WIDE AS THE SKY

                            2012年7月10日

昨年末に「ディア・グロリア」が発刊され神部さんが感想文のなかで
「WIDE AS THE SKY」の作詞はトニーさんだったはずと言われ、
私に確認の依頼がありました。

wideasthesky.pdf

半年かかってようやく歌詞カードを見つけることが出来ました。
肩の荷がおりました。

シロ―君とトニーさん


                                 加藤志朗君の5年祭

はやいもので5年が経ちました。
実際の命日は9月9日ですが今回彼の誕生日(5/18)に合わせての開催となりました。
前日まで関東地方は雷や局地的な豪雨で心配されましたがこの日はまさに五月晴れ。
私が到着したときにはシロー君のお兄さんとジョニーがお墓の掃除をしていました。
午前11時に合わせて1分間の黙とう(同時刻にバンコクの会社の社員も皆黙とうするとの事でした)
神主さんがいろいろやった後お榊を全員がお供えして式は終了。同窓会からは生花を出しました。

今回渡辺満君が参加、彼に会うのは久々(多分25年ぶりぐらい)でした。
だいぶウエストが広がりましたが相変わらずです。
そのあと食事をしながらシロ―君の思い出を話しあいました。

参加者・清水先生、小澤百合子さん、大沢さん、ジョニー、渡辺、中嶋

(5月19日(土) 松戸市八柱霊園)

 

                               木村利根子さんのお見舞い

翌日にはトニーさんのお見舞いに。
この件は神部さんとチョロがすべてセットアップしてくれました。御苦労さまでした。

逗子マリーナの近くのお店をチョロが予約してくれていてゆっくり昼食、相模湾の海の幸を堪能した後
歩いてトニーさんに会いに行きました。

お花をプレゼントして各自自己紹介。

音楽が大好きなトニーさんに皆で歌いました。

曲順
    1.Ekla Chalo Re  インドの歌、ベンガル語

    2.Wide as the Sky

    3.新しい世界

    4.Up with People

トニーさんすべて覚えていて一緒に歌っていました。
楽しい時間でした。そのあと「ディア・グロリア」の本にサインを頂きお別れ、チョロの準備してくれたお店でお茶を飲み解散しました。



参加者・米山さん、小澤さん、神部さん、津田君、ビル、大沢さん、佐々さん、ヨッチ、藤井君、クロ、恵子さん、チョロ、ひろき。

(5月20日(日)逗子市小坪)

ディア・グロリア Part 2


たまたま目にした新聞広告で、木村太郎さんが2007年に脳梗塞に見舞われたお姉様の利根子さんの「身辺整理」をされている時に見つけたメモと日記を元にして本を編集したことを知りました。即日買い求め、読み始めました。

「ディア・グロリア」は、トニーさんが1934年にお父様のお仕事の関係で幼少期にバークレー〜ニューヨークに移り、学校に通われたことからのメモ書き、太平洋戦争が始まった'41年にお父様を残してご家族で帰国してから、愛するアメリカが敵になる中日本人として生きる胸中をニューヨーク時代の友人に宛てての手紙形式の日記を元に、書かれています。

利根子さんは私たちにとってトニーさんですね。

私は移動学校でアメリカ縦断をしたSING OUT ASIAに参加した時に、トニーさんから英語での唱い方をレッスンされた事を覚えています。確か、"WIDE AS THE SKY"はトニーさん作詞だったと思います。心に滲みるとても良い歌で、それを永田君のお姉様が透き通る声で情感たっぷりに唱われたのを思い出します。

それから、LIOJで英語のディレクター(?)として指導して頂いた時、独特の英語発声法を教わったり、皆でのイベントの際に、奇麗な声で英語の歌を披露してくれたことも。

今回この本を読んで、過激な歴史的背景でのトニーさんの子供〜ティーンエージャー時代を改めて知り、びっくりしました。

この本の優れているところは、トニーさんのメモ/日記を元にして、太郎氏が当時の日本と世界、及び個人的な背景説明を添えていることです。

1934年に銀行勤務のお父様がサンフランシスコ支店への転勤になった際の居住地が隣のバークレーだったということも初めて知りました。お父様がサンフランシスコの支店にフェリーで渡り、鉄道でバークレーに帰ってくるというところがありました。今は観光スポットとして知られているベイブリッジやゴールデンゲート・ブリッジができる前は、そうやってサンフランシスコとの行き来をしていたのだと、サンフランシスコに住んでいた頃、ここのベイエリア育ちの夫に聞いたことがあったのを思い出しました。

太郎さんがバークレーのアルタ・ベーツ病院で生まれたということを知って、ビックリしました。息子が生まれる前に夫とあちこちで出産前のクラスを受けていたのですが、ここはバークレーに長年住んでいるユダヤ系の友人が出産した病院で、ここでのクラスも取りに通っていたからです。

私は中学生頃からアメリカ留学に興味を持っていたのですが、その頃から読んでいた先輩方の留学記の中に、「雪の降る町を」を書かれた内村直也氏の娘さんのとってもユニークな「さてやじ公」があります。その内村氏が、トニー&太郎さんの母方の叔父さまということも初めて知りました。

私たちの息子も通っていた啓明学園に、トニーさんも帰国されてから、初期の帰国子女としてまだ赤坂の三井さんのお屋敷にあった時に入られたとのことです。木村太郎さんが入られたことは聞いていましたが、トニーさんもここで学んでいられたということは初耳です。考えたら当然のことですが。。その時に、ハーカー先生も教鞭をとっていたということも書かれています。開戦を伝えるラジオ放送も、「中学部の二宮さんと友人の岡さんがしばらく前から組み立てていた手製のラジオで」聞いたとありますが、こちらは岡じゅんのお父様のようです。

昔トニーさんにオノヨーコさんと学校が一緒だったと聞いたことがありますが、てっきりニューヨークでのことかと思っていたのですが、啓明ででした。

その他、アメリカでの背景から戦中戦後に特別な仕事を任されたことも分かり、最近仕事を通してからもこの辺りの状況/背景に興味をもっている私にとっても、感銘を受けます。

何年か前のアジアセンターでの集まりの時にトニーさんに何回かお会いした時に、私の名前を言って挨拶をしましたら、「神部さん、そんなことを言わなくても貴女が誰か分かりますよ」と言われました。

それが、アジアセンターの閉所式に車椅子でいらした際は、もう私が誰かはお分かりになりませんでした。

本を読んで、個人的にも繋がる所が多々あり、また歴史的な事も含めてトニーさんといろいろとお話したかった。。。と思います。

「歴史」の中での出会いというのは、何と不思議なことでしょう。

ウォーラー神部ちづ子

(参照)
LIOJについては、以下を参照下さい。
http://www.mra-reunion.com/MRA40/HTML1/23/2302.HTM

 

ディア・グロリア


  

11月20日に木村利根子さんにつ いて書かれた本が発売になりました。
「米国育ちの姉は、戦中の日本で揺れ動く心情を綴り続けたー70年を経て
見つかった貴重な記録か辿る感動ノンフィクションと本の帯にあります。

2007
年にトニーさんが脳梗塞を発症されて入院されてから、マンションの
整理をしている際にアメリカでの友人に宛てて(実際でな く)書いた戦時下の
日本での苦悩の「語り」を綴ったノートがたくさん出て来て、それを元にして
木村太郎さんが本にまとめられたもの。

本の後半には、MRAでの活動啓明学園で英語を教えていたことなどにも
触れています。

 
題名「ディア・グロリア」
新潮社出版/¥1.575

 

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