僕にとってはセンチメンタルジャーニー
京都には2004年までいて、それから名古屋へ移り住み始め2005年春から車いす生活になってから、何回か行っていますがたいがい葬式とかで、日帰りのことばかり。
今回は2泊3日で、ゆっくりと京都の街を見ましたが14年も経った、街の変化にはびっくりの連続。
1日目は京都駅から地下鉄で四条に出て、30年近く働いていたイタリアンのあった富小路にまず向かいました。四条烏丸から富小路までの四条通に面したビルが全く知らない新しい店に変わっていて、まずはびっくり。
富小路を曲がって、又びっくり! 古びた風情のあった中華料理店が洒落たビルになって、テナントが入っていて、木造だった家もみんなビルに。
僕がいた「フクムラ」はもう潰れてしまったのは知っていましたが、その北隣の駐車場だった所はマンションとなり、その1階にフクムラで一緒に働いていた、N君が店を出したのも知っていたので立ち寄って昼食をとりつつN君とあれこれ話をしました。
彼によると観光客、特に海外からの観光客が半端なく増えている。
これは今回の同窓会に参加された皆さんも目の当たりにしたところで、ともかくホテルがバンバン建っているそうです。面白かったのは彼の店の2軒ばかり隣の5階建ての食堂ビルがホテルに変わった事。04年までは我が故郷、富山の食材を使っての食堂で時々食べに行った事がありますが、1階はテーブル・イスで100席近くはあったと思います。2階以上は、何部屋かに分けられる宴会場。僕がいたころはよく流行っていたのですが、よそに売りその買主がビルをホテルに変えて、かつての宴会場はいくつかに仕切ってあるとは思いますが大部屋に布団をひいて、いわゆる雑魚寝で10人前後を宿泊させ料金は3000円くらいと言っていました。びっくりを通り越して何だかなぁという感になりました。
さて、N君の店を出て又四条通を河原町通りに向けて、京極あたりの狭い道を抜けましたが、一時よく行っていたビリヤード屋さんは無く、けっこう有名だった喫茶店もなく、建設中のホテルを横目で見ながら、裏寺から六角に出て。六角の公衆トイレはすごくきれいになっていました、車いす用もあったかな。
六角河原町を東に渡って、知り合いのカメラ屋さんへ。写真をやっていた時はよく通ったし。よく買っていました、もちろんフィルムカメラの時代。女性店主のKさんもいらっしゃいましたが、「ちょうどいい時に来てくれた、11月末で閉店するのよ」って。ええっ!?て感じです。
デジカメに変わって、みんな量販店で買い、個人の店では太刀打ちできないのでしょうね。幸い自社ビルで2階から5階はテナントが入っているので、困ることはないし閉める潮時だったのでしょう、僕らと同年代のKさんの話でした。
1日目なかなかホテルにたどりつけない。夕方5時までには入る予定でいて、河原町三条目指して北上。ロイヤルホテルという事で事前に調べたら閉鎖しているし、どうなっているの? で三条まで来たら渡辺君がいて、ホテルはこっちと教えてくれて無事チェックイン。同じロイヤルホテルという名前でした。三条通りに面してなくてフロントは通りからちょっと入り込んだ所で一人だったらすぐ見つけられたかどうか・・・
夕食は木屋町から先斗町に入った所。そこまでのわずかな距離でしたが、高瀬川の小さな橋を渡って、ふと右手を見ればエレベーター式の立体駐車場がない。隣のスナックやらが入っていたいわゆる雑居ビルもない。時々飲みに行っていたのになぁ。残念というか何というか、跡地はお決まりのホテル建設中。
京都は今、インバウンドの観光客が増えとりあえずホテルが足りないらしく
昔からのビルもホテルに建て替わって、ホテルラッシュ。
バスの乗降をした、本能寺会館も元々宿泊施設でしたが、リニューアルか建て替えか知らないけど、工事中だったでしょ。
名古屋に帰ってから電話で京都の知人にその話をしたら、元からの京都人は余り繁華街や、観光地には行かないようにしているとか。京都市としては、観光で経済が潤い結構な事だろうし、観光関連の業者にとってもいい事なのだろうけど、一般市民も大挙押し寄せる観光客、特に海外からの観光客の多さに慣れるには少し時間がかかるのかなと思っています。
一つ、街中を車いすで自走した感想。三条・四条・河原町近辺だけかもしれないけど、歩道と車道の交差点の所の段差が、すごくなめらかなスロープにしてあり全くストレスを感じずに通れた事。今現在の名古屋の街もそうですが、スロープといっても昔は段差の角を少し削っただけの感があり車いすになってすぐの頃、河原町通りで段差にひっかかって前のめりに倒れた事もありました。
あの道路のスロープは良い!
二日目は叡山から高尾・嵐山方面へ。途中寄った青龍殿は昔なかったので、HPを見たら平成26年10月に建立されていて、そりゃ知らないわけです。昔は駐車場の向こうにあった展望台的なコンクリートの施設のみ。デートスポットとして有名でした。
青龍殿を後にして一路叡山へ、その途中の山道から一般道へ出て少し走った所が御陵(みささぎ)で、僕が長年住んでいた街。地上を走っていた京阪電車の三条から滋賀県の浜大津までの路線は、僕が住んでいた頃に地下に潜り、地下鉄となりましたが、あの道路沿いにあった、酒屋さんも洒落たカフェみたいになっていたし、あの短い1キロ足らずの所も知らないビルばかり、まさに14・5年の間にこんなに変わるのかと軽く感傷にひたりました。万物流転・諸行無常って
事ですね。
3日目。最終日にはいよいよ車いすごと乗れる観光バスの登場。名古屋でも1回だけ乗った事がありますが、やっぱり楽ですね。
向かった先の青蓮院・南禅寺は京都に住んでいながら行ったことがなく、今回が初めて、知恩院は門前までは何回か行っていますがちゃんと拝観したことはないです。そして芋棒の平野屋、ここも初めてでして食事に来るのは観光客が多いのかな。
以上、3日間を思い出しながら書き出しましたが、バスの乗降の際には菊地君やジョニーに手伝ってもらいありがとうございました。特にジョニーは相部屋で何くれとなく面倒をみてくれてありがとう。洋樹君はじめ幹事団の皆さんありがとう。木本先生、京都での同窓会の発起人として又バスガイドまでして下さってありがとうございました。そして今回お会いできた皆さんに感謝しています、本当にありがとうございました。
2018,12,30 仁